参観者の声

各地での原爆展でお答えいただいたアンケートをもとに、

参観者の皆さまの声を紹介します。


【開催履歴】

2023年

9月 「原爆と戦争展」祇園公民館

7月 広島「原爆と戦争展」合人社ウェンディひと・まちプラザ/広島県民文化センター

6月 「原爆と戦争展」三次市サングリーン

3月 第8回「原爆と戦争展」フジグラン緑井ギャラリー

2月 第6回「原爆と戦争展」東広島芸術文化ホールくらら

 

2022年

10月 「原爆と戦争展」祇園公民館

7月 「原爆と戦争展」JMSアステールプラザ1F1 ギャラリーA

3月 第7回「原爆と戦争展」フジグラン緑井ギャラリー 参観者1300人

2月 第5回「原爆と戦争展」東広島芸術文化ホールくらら

 

2021年

10月 「原爆と戦争展」祇園公民館

7月 「原爆と戦争展」旧日銀広島支店

3月 第6回「原爆と戦争展」フジグラン緑井ギャラリー 参観者1000人

2月 第4回「原爆と戦争展」東広島芸術文化ホールくらら 参観者400人

 

2020年

10月 亀山公民館ロビー展と証言会 参観者200人

7月 広島「原爆と戦争展」旧日本銀行広島支店 参観者600人

5月 第5回「原爆と戦争展」フジグラン緑井 参観者800人

2月 第3回「原爆と戦争展」東広島芸術文化ホールくらら 参観者550人


▼2022年7月 JMSアステールプラザ ギャラリーA

81歳 女性

子どもの頃の不自由だったことを思い出しました。この展でたくさん学ばせてもらいました。母と下関のおばあちゃんが、背の高さほどの荷物を背負いながら戦後に満州から連れて帰って下さりありがたかったことが一段と心に深まりました。息子も「そのおかげで僕がいるんだ」と言っています。今の戦争が早く終わりますよう、世界中の人々が助け合い支え合い日常生活に感謝ができるよう、伝わればよいですね。

67歳 女性

パネルの写真に目がとまり、解説の文に引き込まれました。戦災孤児がオリの中へ押し込まれている様子。ケージに入れられた動物扱いに怒りがわきます。こんなことが許される戦争は絶対に起こさせてはならない。戦争の実相や戦後の出来事など記録されて見ることができることの重要性も感じます。忘れさせようという風潮に抗して、忘れないために記録すること。忘れてはならないことを記憶することを。毎年この展示を実現させている会の活動に感謝します。続けることが力を与えてくれます。

42歳 女性 高校教師

被爆者の方の丁寧な説明もあり、生徒共々大変勉強になりました。広島で「学ぶ意味、責任」を常々、生徒に伝えたいと思っています。この夏休みをもう一度、戦争について、広島について生徒と学んでいきたいと思いました。ありがとうございました。

10歳

なんかい原ばくの話を聞いてもとてもこわい物だし、こんなおそろしいことをしてたくさんの人々の命をうばって、「どうしてこんなことをしてるの」「とてもつらいおもいをしているのになんで平気なの」と思って、こんなこわいこと「もうおこらないで。こんなことしてもだれもよろこばないよ」と、いやな気持ちになります。一度おこったらもうおこらないようにいのってみんなの命を守りたいです。

30歳 女性

原爆はもちろんですが、日本中で起きていたその他の戦争についても一緒に学ぶことができたのは有意義でした。目をそむけたくなるけど、完全に忘れてしまった時、同じ悲劇をくり返してしまうかもしれない。「知る」ということは大事なことだと思いました。

21歳 男性

戦争の時代に逆戻り…なんてことは絶対に避けなければならない。文を見るだけでも、痛み、苦しみが伝わってくる。風化させないためにも、若者が声をあげていかねばならない。祖父から戦時中の話を聞いたりもするが、やはり風化していってしまう気がする。二度とくり返してはならないし、忘れてはいけない。

19歳 大学生

千人針や慰問袋の実物がとても印象に残りました。時間が足りないと感じるくらいの情報量でした。被爆者の方にお話をうかがうことができたのがとても刺激になったと思います。被爆された方の生の声をきくこと、たくさんの体験をきくことの大切さを改めて感じました。もっといろんな体験をきいてみたいと思います。このような企画展や被爆体験を聞くことは、過去を知り、伝えていくうえでとても大事になると思います。被曝者の高齢化が進んでいる中自分にできること、伝えていく方法をもっともっと考えていきたいと思いました。来てよかったです。



▼2022年3月 フジグラン緑井ギャラリー

82歳 男性

日本は不戦の憲法の精神を守らなくてはならない。

77歳 女性

日中戦争に始まり、無謀な太平洋戦争へと突き進み、国を滅したのが果たして誰の責任なのか?展示からは分からないが悲惨な実相はよく伝わってきました。最後に20万人の井内を奪った原爆が絶対悪であることが、いつか人類の共通認識になる日が来ることを切に願います。ウクライナの戦争が一日も早く終わることを祈ります。

58歳 女性

戦争と原爆は絶対にダメ。小さい頃は学校で色々学んできたが、貧乏な日本になりつつあるように思える。物価が上がり、ガソリンが高くなってきている日本。今ウクライナの人々がとても心配です。このような戦争をしてはいけないと声を大きくしていいたいと思います。

54歳 女性

私は被爆二世ですが、父は当時幼く、祖父は原爆のことについて語りたがらなかったため、直接このような機会にじっくり学べたのはよかったと思います。小学校が幟町のため、禎子さんのことや原爆について他校より深く学んでいたつもりでしたが、知らないことばかりでした。よい機会をいただきました。

50歳 女性

とてもよくまとめられていて大変勉強になりました。今の日本の政府やマスコミは戦前や戦時中のようにプロパガンダしか流していないので、このような展示会を開いておられること、とてもすばらしい活動だと思いました。マスコミが流す情報をうのみにせず、自分でも多方面の情報を集め調べて、本当に必要な平和の運動や活動をしていくべきだと改めて思いました。私はコロナが始まるまでドイツに約20年住んでいたので、ロシア人、ウクライナ人のドイツ在住の友人がいます。ウクライナばかりに肩入れする日本政府の対応に、ネオナチが糸を引くウクライナとともに、どこへ日本国民を追い込もうとしているのか…と危惧しています。ウクライナではチェルノブイリ原発事故があり、日本でも福島の原発事故がありました。ウクライナでの戦争は、日本にとって決して遠い国の出来事ではなくて、日本にも同じようになりうるこということを心にとめて展示を見ました。友人たちにもこの展示のこと知らせます。



▼2022年2月 東広島芸術文化ホールくらら

45歳 女性

子どもの頃から平和学習や祖母の被爆体験等を聞いて育ち、平和について考えてきましたが、今回パネル展示やご案内頂いた被爆者の方のお話を聞き、改めて戦争の悲惨さを感じました。昔のことと考えずに、今もなお原爆や戦争で苦しんでいる人たちがいることを忘れず、これからも平和について考えていきたいと思いました。

84歳 女性

体験した人が少なくなっているなかで、実際に体験した私は若い人に伝えていかなければいけないと痛感しました。昨年もこの会に参加しました。

63歳 男性

今回の展示はとても見やすく工夫されていたと思います。戦争前〜終戦後の人々の暮らしは、想像していたよりも過酷で、厳しいものだったと改めて知らされました。戦争は始まってしまうと、とても止められるものではないと思います。それゆえに、少しでもその兆しがあれば、みんなの力でくい止めなくてはならないと思います。戦争が始まれば人は人でなくなってしまうものだし、人を殺しても何も感じなくなってしまう。

35歳 女性

子どもたちが興味をしめしたので一緒に来ました。詳しく理解するにはまた難しい年齢ではありますが、戦争の悲惨さや酷さはわかったようです。この展示をきっかけに、世界の平和を願ってくれるような人間になってくれればと思います。

13歳 中学生

被爆者の方々は同じ原爆で被害にあっていても体験したことは一人一人違って、何年も(死ぬまで)頭に残るほど悲しい体験をされているということがわかった。これからも原爆について語れる人が少なくなると思うけど、若い人がたくさん勉強して原爆について次の世代に受け継げるようにしていくことが大切だと思った。次もまたこのような企画を開いてほしいです。次も来ます!原爆が落とされる前も戦争があり、食べ物が少なく、苦しい状況であったということを初めて知った。これから色々な悲しい体験をされている被爆者の方々のお話をたくさん聞きたいです。できれば直接聞けるような活動をして頂きたいです。私も話ができる(受け継いでいける)ように勉強を頑張ります。朗読は感情がたくさんこもっていてリアルに風景が浮かんだ。これから私も参加してみたいと思った。



▼2021年10月 祇園公民館

85歳女性

私は小2でしたが、母は父兄会に出ていました。近所の方が来ておられ、弟がおむつをかえてもらっていました。私もちょうど南側に向かって座っていましたので、爆風にあいました。後に妹2人が生まれましたが、皆それなりに病気を持つようになり、下の妹は46歳で逝去しました。母がすぐに敷き布団をもち小学校に被爆者の介護に何回もいきましたので、今になって思いますと、きっとそれがわざわいしていると思います。

12歳 男子小学生

証言では、戦争や原爆で心にも、身体にもひがいがあり、そのことで周りにも大きなひがいがあることがわかった。就職がむずかしい、お金問題、体への負担など。これからも学んでいきたい。

38歳男性

小学校で教員をしている者です。父母が横川で被爆し、祖父はフィリピンにいました。「知る」と「伝える」がいかに大切かを再認識しました。

女子大学生

今回の展示を見て、原爆が落とされた後の人々の生活がいかに大変であったかについてくわしく知ることができた。特に詩は、戦争、原爆の恐ろしさや当時の人々の思いを簡潔にそして生生しく伝える手段として非常に有効であり、重要であると感じた。今後は、被爆者の体験談だけでなく、原爆の威力や放射能の被害の大きさなど、詳しい数字を勉強し、伝える側としての知識をつけていきたい。

30歳女性 会社員

被爆体験の証言を聞くのは今回が初めてでしたので、ショックな話も多くありましたが、信重さんのお話の内容に吸い込まれるように聞き入ってしまいました。やはり実体験をされた方のお話は迫力が違うなと感じました。今回の機会をきっかけに、若い世代へともに戦争の恐ろしさを広めていく活動に賛同していきたいです。すべての展示を見ることが時間の都合でできなかったため、改めてこのような機会で見たいと思いました。



▼2021年7月 旧日銀広島支店

52歳女性

非人道的な行為が同じ人間の手でここまで容赦なく行われたことに激しい憤りと虚しさを感じます。耐えがたい痛みといわれなき差別。九死に一生を得て助かることができた貴い命が放射能という見えない悪魔に蝕まれてゆく。消えることのない痛み。人間の欲望である原子爆弾を核兵器を廃絶することは唯一の被爆国である日本が真っ先に声を上げてゆかねばならないと思います。それは遺された私達の使命であると。無念にも亡くならなければならなかった方々への真の慰霊であると思います。

62歳 男性

戦争は始まってしまえば止めることができない。だからその芽を早く摘みとることが大切だと思う。原爆展の展示を見て悲惨だと思う気持ちを常に忘れず、戦争の芽を摘みとるための力としい。

31歳女性

写真や数多くの証言を見て、改めて戦争の悲惨さ、むごさ、そういったものを感じました。私自身、昨年に出産し、子どもがいる母親です。もしも、我が子を戦地に送り出さなければならない、または全く知らない土地で亡くなったとなれば、その気持ちは想像するにたえません。これから世の中が絶対に間違った方向に進まないよう、私たしがしっかり伝えていかねばならないと思いました。

21歳女性

展示を見るだけでなく、お話を聞くことができ、より原爆について知ることができました。写真を見たり、記事を読んだり、お話を聞いて胸がギュッとしめつけられました。今まで平和教育を通じて原爆にふれてきましたが、それでも新しく知る物語や話、事実をまのあたりにすると、心が痛みます。他県の人々はこのことを知らない人が多いので、このことについてもっと多くの人、日本以外の人々にも知ってほしいと思いました。

14歳中学生

「その日はいつか」という詩がすごく心にのこりました。このくつじょくをどうしよう!って思っても本人は感情すらいだけなくて、私までくやしくなりました。私なんかが深く考えたところで戦争はなくならないけれど、でも勉強したり他の人に伝えるのはやめちゃいけないなと思いました。ありがとうございました。



▼2021年3月 第6回「原爆と戦争展」フジグラン緑井ギャラリー

81歳女性

ピカドンは、祖父、祖母、いとこを皆連れていきました。

58歳女性 保育士

戦争展の開催にはこれまで何度も足を運び、体験を聴かせていただき、パネルを読ませて頂きました。そのたびに、改めて戦争の悲惨さ、悲しさ、非人間的な行為の矛盾さを感じています。語り継ぐ大切さを感じています。次の世代の子どもたちに平和な心と世の中を継いでいけるよう、自分もできることをしたいと思います。

81歳男性

1945年敗戦時、私は5歳でした。東京の表参道の同潤会アパートから八王子に引越しました。「空襲警報発令。B 29は西南方に向かいつつあり」という放送が度々ありました。8月2日の夜、起こされて門柱のところに掘ってあった防空壕に入りました。一度出て家に入りましたが、また起こされて防空壕に入りました。防空壕から出ると、町は橙色に燃え上がっていました。どこも燃えていて、皆逃げまどっていました。八王子は焼き尽くされて、道だけになっていました。10月に広島の町を父と歩きました。広島の町も、建物はなく、道だけになっていて、その道を人が歩いていました。戦後は飢えて、乞食のような生活でした。いつもお腹がすいて、寒かったです。原爆と戦争展がよくできたと感心します。「原爆」だけの展示だったり、「空襲」だけだったりします。内容も正確です。こんな展示をたくさんの人に見て、読んでほしいです。

9歳女子 小学生

げんばくの時に、たくさんの人が死んでいって、あついし、くるしいし、わたしもあいたくないと思いました。みらいにこんなことはおきてほしくないと思いました。



▼2021年2月 東広島芸術文化ホールくらら 市民ギャラリー

84歳女性

西条小学校3年生のときに原爆が落ちたので、その当時のことは今もよく覚えています。たくさんの方が死なれたのも目の前で見ました。二度とこのようなことがないことを祈っています。

28歳男性 福祉

昭和8年生まれの祖父は、8月6日当日、広島市内へ行く予定になっていたが、体調を崩してしまったため、友人が代わりにいって原爆で亡くなったことをとても悔いている。被爆三世の私は、その当時の状況を聞く機会はあるのだが、胸が塞がれて言葉にならないというのが正直な感想である。また、当時を生きた方々の立場になり、代弁する行為にも自然と限界が出てしまう。そのもどかしさが葛藤となり、己の非力を傷み入る。今回、このような催し物に参加させて頂く機会をたまわり、大変感謝している。

73歳男性

軍人も国民も人間の命が虫ケラ同然の扱いだった。戦争の強行突破は、戦争執行者のためだけに行われたように思う。若い命も容赦無く軍隊へ動員された。

36歳女性

たまたま昨日くららで原爆展を拝見し、末政さんのお話を聞かせて頂き、大変勉強になりました。今まで、戦争の話を身内(戦争に行った祖父)から聞くこともなく、なんとなく戦争の話から逃げてきていたけど、逃げずに向き合って、次の世代にも伝えていかなければならないと思いました。二度と戦争は起こしてはいけません。平和な世の中を願い、これからしっかり原爆と戦争のことを勉強し、伝えていきます。これからもお元気で、普及活動を頑張って下さい。私たちも自分にできることをしっかりしていきます。

30歳男性 留学生

大変インパクトを受けて、被爆の話も聞けて勉強になりました。原爆の力やそのおそろしさがよく理解できました。広島に来てからそんなに時間は経っていませんが、ぜひとも広島の被爆の記憶を少しでも心に銘じていきたいと思うようになりました。いろいろと聞かせていただいて、ありがとうございました。

28歳女性 会社員

何度目かの戦争展でしたが、いつみても全身が震えて手に力が入ります。戦争に行ったのに栄養失調で亡くなったとか、終戦前日の岩国であんなに空襲があったとか、教科書では習うことのない現実にいつも苦しくなります。もう繰り返してはいけない。強く強く思いますし、これを私たちが守って伝えていくべきだと思いました。この活動を続けてくださり、ありがとうございます。



▼2020年10月 亀山公民館

85歳男性

特攻隊に志願して出征する上級生(高等科)が学校の朝礼台に立ち挨拶。何人も見送った。一人の家族の話。与えられた剣では戦えない。田畑を売って昔の名刀を買い持たせた。その人は後に戦死したと聞いた(航空隊)。原爆では無力な大勢の人が瞬時に命を亡くし、次々と空き地に並べ火葬される。焼けただれた皮膚に苦しむ人々。戦争の悲惨。二度と起きてはならない情景である。幼き頃を思い出し、今の平和がいかに大切なものであるか、心から願うことである。

68歳女性

父も戦争に行き、戦後シベリアに送られ、昭和23年11月にやっと帰国しました。広島を見てどんなにショックだったことか。75年間戦争をしなかったことを喜んでいると思います。「原爆と戦争展」全国の人に見ていただきたいです。平和ってありがたいことですね。

19歳女子 学生

歴史の授業でしか戦争について学んできませんでした。このような詳しい証言をじっくり見るのは、小学生の時に原爆資料館に行ったとき以来でした。見始めて数分で気分が悪くなり、立っていられなくなりました。自分が今まで目を背けていたことを痛感したと同時に、当時はこれが当たり前の光景だったのだと思うとゾッとしました。自分は将来教師をめざしているので、これからは戦争に向き合い、勉強していきたいと思います。